女は50を過ぎてはじめておもしろくなる〜A woman does not become interesting until she is over 50〜

勉強もスポーツもがんばらず何となく生きてきた20代、心構えもなく何となく30代で結婚し、40代で何となく人生のアクがでて、50才を迎えて今。このままでいいのか、もうおそいのか、迷える50のばばあが一発奮起して自分を変える旅にでた。せまりくる老いと闘いながら、日々考えることを書きながら自分とむきあっていくブログです。

まいにち、まいにち。

きっと私の前世は、フーテンの寅さんか

はたまたスナフキンみたいに

働いてるけど、なにかしらふらついて

1つの場所にいない気ままなヤツ

だったとおもう。

 

あ、寅さんもスナフキンも働いてないか。

 

 

まいにち同じ時間に起きて

同じ電車に乗って

同じ会社に行って

当たり前なんだけど、こんなこと

「無」にならないとできない。

「む」ですよ、む。

 

 

誰かが言ってたけど

日本人の7割は自分で決めるより

だれかが決めてくれたり、なにかあたえられたり

された場所が安心なんだそう。

 

てことに

びっくりした( ゚д゚)

 

 

そうなの?

そうなんだ。

 

 

自分で決めて勝手にやることに

生きがいを感じてるわたしが

世の中に出るといきぐるしいっていうか

心地わるいっておもうはずだわ。

 

 

変わりものっていうひとくくりで

片付けちゃあいけない。

最近はそうおもう。

 

そしてムダに深ぼりする。

 

じつはそういうふうにしてる人でも

それがいいと思ってるわけじゃなくて

みんながそうしてるからとか

自分だけ違うこと言ったりやったりする勇気がないとか

人になんかいわれるんじゃないかとか。

なんじゃないのかなーなんて

おもうようになりました。

 

 

ワタシみたいに

右行けっていわれたら左に行くようなやつは

そこらへんは悩まない。

でも、納得してなくて右行く人は

そういうふうにやったりしてる人を

やっつけようとしたりして

ワタシもそういう目によくあったりする。

ほっとけ。

でもなんでほっとかないか。

 

 

そう。

人間も集まると弱肉強食な空気になるのは

当然といえば当然です。

 

 

じゃあみんな個人主義で行こうぜってすればいいってことですが

むかしむかしは「個人」と「社会」って言葉すら

なかった日本で、個人が一人一人考えもって社会を

作ろうよっていうのも

むずかしいわけです。

最近すこーしかしこくなった(ような気がしてるだけ)

ばばあはおもうわけです♪( ´θ`)ノ

 

 

そもそも

働いてる会社の利益が上がればお給料が増えたり

いいことが起こるのに

それにはそこにいる人たちが

よしやろーぜって仲良く働けばいいわけで

その中ではりあったり、いじめたりしても

自分にとってもいいことないのになーと

いちいち噛みついてくる人に思うんです。

 

 

噛みつく情熱を

仕事に向けろ。

 

といいたい。いわないけど。

 

 

それが世間ってことしか知らない

島国の視野のせまさなんだろうな。

 

 

たとえば同じ立場でできるヤツがいて

ほめられたりするからムカつくんじゃなくて

そいつに頑張ってもらって会社を

どんどん良くしてもらって

自分は自分のがんばりでやってればいいのに。

 

一人一人違うって

スマップも言ってた言ってた。

 

一人一人違うから、測る物差しも違うし

メモリも単位も違うと

ずっと思って生きてきたワタシです。

 

同年代で

たとえば霧島カレンなんて

同じ時間を過ごしてるのに

なんて優雅なんだろうなーと

おもうだけで

そもそも違うから比べることができない。

 

 

でもちょっとマネしてみたり

して楽しんでるくらいで

じゅうぶんです。

 

 

一体なんの話してるんだろ。

 

 

そろそろ夏もおわるけど

ワタシの人生のモサクは続きそうです。